オーパの絵は、一見、明るい色彩で、ユーモラスなのですが、その中に、社会に対する痛烈な批判や皮肉が込められていました。もし、元気だったら、この、世界中がコロナに震撼している状況を、きっと絵にしたことでしょう。
 オーパが描いたモチーフの一つに「転がる桜」があります。「桜には、人を魅了する美しさの陽の世界と、人を惑わし、狂気と恐怖に導く陰の世界がある。あんなに美しいのには、何かあるに違いない。」と考えたのでしょうか、梶井基次郎は、「桜の木の下には死体が埋まっている。」と著わし、坂口安吾は、「桜の森の満開の下」で桜の分身ともいえる美女に惑わされ、狂気の世界にはまっていく山賊を描きました。オーパの「転がる桜」は、その本性を顕にし、破壊的な爆弾となり、戦争やテロがはびこる世界を転がり続けます。それはまるでコロナにそっくりではありませんか!どんな絵になっただろう。見たかったな・・・・ 
 2月27日に会った時に、「自分は船に乗って長い長い旅をしている。もう決して船から降りることはできない永遠の旅だ。足には重い錘が付けられていて身動きできない。お前もこんな所に居ると、今度はお前が代わりにこの船に乗って、永遠に旅をし続けなくてはならなくなる。ここに居ては駄目だ。さっさと帰りなさい。」と言ってました。妄想や幻覚と片づけるには、あまりに、示唆的で詩的な言葉でした。今、ようやく、あらゆる重荷、苦しみの錘から解き放たれて、自由の身になったのではないでしょうか。満開の桜の花の下で、共に昭和の美術界を駆け抜け、先に逝ってしまった仲間の画家たちや評論家たちと花見の宴を開いているのではないでしょうか。
                                     
                                   【合掌】 (;_;)/~~~
 告別式の朝、ハイジは、撮ってきたパノラマ館の外と中の写真で、急いでスケジュール表を作りました。ペーターに見せると、嬉しいでもなく、嫌そうでもなく、すんなり起きて喪服を着て車に乗り込みました。朝からの雨は、パノラマ館に着く頃には、ザーザービュービューになって来ました。おまけに冬のように寒いです。そういえば、オーパを病院に連れて行ったり転院する時は、いつも雨だったなぁ・・・車から降りると、ハイジは、ペーターの黒靴下が見つからないことに気付きました。どうせ車に乗ると脱いでしまうから後ではかせようと、袋に入れて持って来たつもりでしたが、どうやら忘れてきた様です。急いで、雨の中、近くのコンビニに買いに走りました。
 ペーターの姪と甥は、朝、姪の描いたオーパの絵をお棺に入れて、オーパと最後のお別れを済ませたそうです。
 式が始まりました。お坊さん以外はみんなマスクを付けて椅子に座っています。。ペーターもマスクをちゃんと付けています。ペーターは、何度もトイレに行ったけれども、あまり声も出さず、お焼香もハイジとおんじと一緒に、しっかり出来ました。とてもシンプルな祭壇で、お供えのメロンもお団子も無かったので、お坊さんの後ろでバトルこともありませんでした。お棺に、お花を入れてお別れすることも出来ました。兄の一蔵に「今日は、割と落ち着いているじゃん。昨日の子供たちよりちゃんとしている。」と褒められました。ハイジは、お棺に納めたオーパの帽子を見たら、「オーパが自転車に乗ってアトリエに行く時、いつもこの帽子、被っていたな。」と元気だった頃のオーパの姿が甦り、「本当にもういなっくなっちゃったんだ。」と涙が溢れてきました。
 さて、ペーターにとってお葬式とは、みんなで集まって、おいしいご馳走を食べることだと思っている節があります。これまで、ペーターは、おんじの父と母、つまりペーターの父方の祖父母を見送った経験があり、今回が3回目です。いずれも、大はしゃぎでした。初めてのおじいちゃんの葬儀は、真夏の東京で行われました。葬儀場の中に入ったり外に出たり、ずっとウロチョロして、追い掛け回すのが大変でした。ホテルに泊まったので楽しさ倍増だったようです。ハイジは疲れて38度発熱しました。
 おばあちゃんの葬儀は、雪が降る中、茅ヶ崎の斎場で行われました。大雪となり、一蔵とおんじの姉一家は、高速道路上で一夜を明かす羽目になりました。ペーターは、祭壇にお供えしてあるメロンを取ろうとして、読経中のお坊さんの後ろでハイジとバトりました。お供えのお団子を齧って歯形がつき、葬儀屋さんも思わず笑っていました。通夜ぶるまいの席では、揚げ物をほとんど一人で食べてしまいました。(「近頃ペーターは?」の「お祖母ちゃんのお葬式」をご覧ください。)
 今回は、通夜は帰りが遅くなるし、ペーターの兄のやぎの一蔵の子供たち(ペーターの4歳の姪と1歳11ヶ月の甥、オーパのひ孫たち)が来るので大騒ぎになりそうだし、お目当ての通夜ぶるまいも無いので、ハイジだけが参列し、おんじとぺーターは家でお留守番することになりました。姪と甥が来て大騒ぎと言うのは、ペーターは、小さな女の子は「モンスターズインク」の女の子のイメージがあるのか、気になって仕方ないようです。ものすごい勢いで「いないいないばあ」をしたり、手を引こうとしたりしました。怖がった姪が大泣きし、その泣き声と、みんなに押し止められたりすることで、ペーターもパニック状態になり、お互いに、すごく嫌な思いをすることになってしまいました。子供たちがもうちょっと大きくならないと、ペーターと対面することは難しいのでした。
 お通夜では、姉ちゃんは座っていられましたが、やはりおちびは、途中で飽きて眠くなったのか、少しぐずぐずウロウロしてました。当初は、子供たちも告別式にも参列するつもりでした。でも、通夜の様子を見て、一蔵は「やはり、これにペーターが加わったら大変だ。」と思ったようです。告別式は参加せず、子供たちとママは、バーバの家で待つことになりました。孫たちに明日会えないのは寂しいけれど、これでペーターと子供たちが顔を合わせずに済むと思うとほっとしたハイジでした。
 
は散り、世界はコロナで大騒ぎ 
  オーパのお葬式
 オーパは、とても楽しい人でした。何気ない話でも、オーパが話すと、とっても面白くて、ハイジが幼い時から、いつも大笑いさせてくれました。しかし、3年ほど前から、心身共に病んでしまい、入院を余儀なくされていました。病状は一進一退で、昨今、同じ病院に3ヶ月以上居ることは許されなくなっているため、病院を転々としました。持病の間質性肺炎や心臓動脈瘤や不整脈などに加え、頭にできた、おできのようなものが悪性黒色腫(メラノーマ)と分かり、手術もしました。しかし、年齢や持病のため、さらなる積極的治療はできない状況でした。白内障も悪化して、目もあまりよく見えなくなっていましたが、調子のよい時は、看護士さんたちや他の患者さんや見舞に来た孫たちの似顔絵を描いたりしていました。でも、老人は、心身の状態が悪くて寝込んだりすると、みるみる筋肉が衰えてしまうようです。自力では立てなくなってしまい、車椅子となってしまいました。さらに、メラノーマが再発し、リンパにも転移して、おそらく全身に回ってしまったのでしょう。だんだんと、体全体の機能が衰えていき、遂に、寝たきりのようになってしまいました。ハイジは、何とかして、また絵が描けるようになってほしいと願っていましたが、もどかしい思いで、見守ることしかできませんでした。
次から次へと病魔に襲われて
 さて、4月12日(日)に通夜、13日(月)に告別式が営まれることになりました。葬儀屋さんとの打ち合わせも、みんなマスク着用でした。「葬儀場での葬儀では、なるべくマスク着用の上、参列者は15人以下。皆2m間隔を開けて座る。お通夜のケータリングは出せない。火葬場に入れるのは10名以下。」など、コロナ感染を防ぐための様々な制約がありました。本人は、生前に「自分の葬儀はアトリエの『パノラマ館』でやりたい。」と言っていたそうで、またバーバの意向もあって、葬儀は葬儀場ではなくオーパのアトリエ「パノラマ館」(オーパが江戸川乱歩の小説『パノラマ島奇談』から名付けた。)で行うことになりました。しかし、オーパが、どのような葬儀にしたいのか、その内容については、誰も聞いていませんでした。オーパは、「パノラマ館」に人を招いては宴会をすることが好きだったので、自分の葬儀には、自分の絵を並べ、たくさんの知人に来てもらいたかったのかもしれません。しかし、今は、コロナのために、希望を聞いていた所で、その通りにできない状況でした。緊急事態宣言も出され、知人はおろか、東京や埼玉に住むオーパの妹たちや甥、姪たちには、自宅で冥福を祈ってもらうことにしました。ドイツに在住しているハイジの2番目の妹一家は、日本に来ることができませんでした。バーバと、ハイジ一家、ぺータ-の兄のヤギの一蔵一家、ハイジの3番目の妹一家だけで、こじんまりひっそりと見送ることになりました。

 2020年、4月7日夜11時5分、ペーターの祖父、オーパが亡くなりました。昨年12月にペーターとハイジの、「名古屋、愛知県美術館への旅」の記録の中で紹介した、あの画家のオーパです。折しも、世界はコロナで大騒ぎの最只中。桜が、満開の時を終え散っていくように、はらはらとこの世を去って行きました。享年86歳、絵に捧げた人生でした。
  

お葬式で大はしゃぎ?
葬儀にも制限が・・・
「近頃ペーターは?」のメニューへ
2011年渋谷の松濤美術館で開かれた「東京大空襲25時」のポスター
空襲で燃える観覧車のあるデパート「地下鉄ストア
お茶をガブガブ
さて、お葬式でペーターは?
葬儀の会場となったオーパのアトリエ「パノラマ館」
ペーターの祖父、オーパは旅立って行きました
散る如く
 葬儀は全て終了しました。皆は、バーバの家で、お骨を囲んで精進落としをするとのことでした。でも、バーバの家で待っているオチビたちと、わずかな時間でも対面すれば、ペーターは、きっと取り乱すことでしょう。、せっかく、ぺータにしては、今日は花丸だったのに、お互いに嫌な思いをして終わるのは忍びないので、我々はさっさと帰ることにしました。お葬式=御馳走と思っているペーターにとっては、期待外れだったかもしれませんが・・・。

御馳走なくてごめん
 告別式が終わった頃、外は春の嵐になっていました。おんじが近くの駐車場から車を回してくるのを待っている間、ペーターは、お坊さんが飲み残したお茶を飲んでしまいました。後でそれを聞いたおんじは「コロナが・・・」と焦ってました。
 火葬場は、逗子と鎌倉の境にあります。昔からお化けが出ると言われている心霊スポット、名越のトンネルの近くです。おんじは、入口のアルコールで手だけでなく、ペーターの口の周りも除菌していました。(;'∀')到着してすぐ、最後のお別れをしました。ここでも、ペーターはしっかりお焼香できました。
 焼けるまで小部屋で待っていました。お菓子を用意するハイジの妹に、あらかじめ、「ペーターがみんな食べてしまうので、あまりたくさんお菓子出さないように。」と頼んでありました。それでも、お饅頭を3つ食べ、さらにお坊さんやバーバのを取ろうとしました。お茶もガブガブ飲んで、トイレに何回も行きました。家から、ペーターの大好きなラムネ菓子とベビースターラーメンを持ってきていたので、それもポリポリパリパリ食べました。
 オーパがお骨となって出て来ました。ペーターは、一緒にお骨拾いもしました。オーパはすっかり筋肉が無くなり足が棒のようだったのですが、骨はしっかりたくさんで、骨壺に山盛りになるほどでした。心と体はボロボロだったのに・・・。

 
待合室で
火葬場です
 2月13日からは、自宅近くの老人ホームに移りました。そこでは、大変良くしてくれ、ほぼ寝たきり状態から車椅子でみんなと一緒にホールで食事もできるようになっていました。ところが、コロナ騒ぎが大きくなり、一切面会ができなくなってしまいました。
 「このところ、食事をほとんど取れなくなってしまった。水分も1日100mlくらいしか飲めていない。急激に弱ってきている。」とホームから連絡があり、夜こっそり30分だけ面会が叶ったのは、4月3日のことでした。その時は、まだ話をすることができました。しかし、その二日後には意識が朦朧として、呼びかけると目を開けて何かを言いたそうでしたが、もはや言葉にはなりませんでした。それから二日後、最後の力を振り絞って、生きよう生きようとして荒い息をしていたオーパは、遂に力尽き、旅立って行きました。もう一度絵を描いてほしいという、ハイジの願いは、遂に、叶うことはありませんでした。
ハイジの妹が活けた花 妹は、フラワーアレンジメントの先生です
爆弾と化した「転がる桜」
「転がる桜」はコロナそっくり!?
さて、火葬場でペーターは?
みんなマスク着用です
祭壇の前で
コロナで会えなくなって
祭壇はシンプル メロンやお団子が無くて良かった
オーパの絵「転がる桜」
ラムネ菓子をポリポリ
お饅頭をバクバク 
葬儀のスケジュール表
転がるとコロナ

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